February 2021 pt.1 鯖日記 (Sabba-tical diary)

 February 14

 住んでいるアパートが街のど真ん中であるゆえ、少しお散歩してみるだけで、歴史と文化の厚みがあるボストンのさまざまなスポットにたどり着く。アパートのすぐ裏はマサチューセッツ州議事堂だし、7-8分歩けばBoston Celticsが試合をしているTD Gardenがある(でもマサチューセッツ州では、スポーツの試合は無観客がいまだに原則となっているので、場内には入れない)。食材や調味料について、東アジアのものが恋しくなったら、10分ほど歩いてチャイナタウンまで出かければ、ピータン豆腐もニラも麺つゆもひきわり納豆もコアラのマーチの本物もニセ物も手に入る。
 日曜日、そしてバレンタイン・デーなので、ぜひ街の様子を見てみようと、海のほうまで散歩してみる。iPhoneのヘルスケアappで毎日歩数を計測していて、この日は大いにポイントを稼げるのではと期待したが、15分も歩いていないうちにハーバーの周辺に到着。ハーバーの遊歩道やレストラン、水族館にもそれなりに家族連れや友人連れの人出があって、じわじわと日曜日らしさが回復されているのがわかる。
 そういえば、ずっと前にボストンに短期滞在した際は、地下鉄やバスを使って動き回っていたし、そもそもケンブリッジ(ハーバード大がある区域)のアパートを借りていたし、いまいち各有名スポットや駅間の距離感をつかめていなかった。今回の滞在では、運動不足解消のために歩き回っていることもあって、ボストンという街の物理的な内周や外延を自らの身体で測定しているようで、とても面白い。
 Little Italy(イタリア人街)と呼ばれているNorth Endにも寄る。バレンタイン・デーの日曜日なので、ここでも昼過ぎからレストランは賑わい、多くの人がワイングラスを並べて談笑していて、活気と酒気が戻っている様子。通りかかった菓子店に大行列ができていたので、物は試しと並んでみると、そこはボストンで著名なイタリア系お菓子店 Mike’s Pastry。見た目だけなら日本のチョココロネみたいなので、甘味がどうにも苦手だが菓子パンはそれなりに好きなわたしでも美味しく楽しめるかもと思い、妻に頼んでわたしの分のCannoli(=カンノーロ)も買ってみてもらう。色味がおとなしめだったので、チョコレート・リコッタ味。帰宅後、コーヒーと一緒に口にしてみたら、あまりの甘さ、その糖分量によって体内血糖値が急上昇でもするのか、コメカミが痛くなるほどだった。半分食べてギブアップ。
 その甘さとトレードオフせんとばかりに、夜はこちらに来てからはじめてのカレーづくりに励む。キッチン・サイトーとして日頃愛用しているスパイス一式はないのだが、チャイナタウンで買ってきたゴールデンカレーのルーをベースにして、ホールの胡椒、先日スーパーで見かけて比較的安かったので買っておいたクミンとターメリックのパウダー、にんにく&生姜、を用いてチキンとじゃがいものカレーをこしらえる。

 February 12

 ボストン・コモンなどの公園やチャールズ川沿いの遊歩道など、大都会ボストンは自然も豊かであり、多くの野生動物が生息している。樹木あるところになるとどこにでもいると言っても過言ではないのが、リスである。エサをくれる人もいるのだろう、人間にもすっかり慣れきっていて、中ににはエサをくれとわたしの脚に飛びついて催促する(!)媚び芸をやってみせるリスまでいる。リスたちの集団生活やエサの採集を眺めているだけで、心が慰められるというか、不思議に落ち着く。動物たるもの、やはり動いていないと、かえって落ち着かないのだ。
 

↑ Q. さて、この写真の中にリスは何匹いるでしょうか?
 

 February 10

 こちらでの所属先となるタフツ大学の手続きであるが、思っていたよりも時間がかかる。すべての関係職員の方がリモートワークになっていて仕方ないところもあるし、またわたしのほうでも、アメリカの出入国記録である「I-94」がなぜかわたしのパスポートに対して反映されていないという事案が発生。入国に際しインタビューしてくれた係官の感動的なまでの大らかさ(ニアリーイコール適当さ)を思うと、なるほど…と納得もしてしまうが、諸々の手続きのためにきちんとしておかなければいけない。この出入国記録を訂正する手続きは、本来とても面倒なようなのだが、パンデミック禍ゆえに生まれた利便性なのか、現在は地域のCBP(Customs and Border Protection=税関・国境警備局)にメールで訂正リクエストのフォームを送り、パスポートなどの公的文書の写真を添付するだけで良いとのこと。入国記録であるとか収入証明であるとか、とても重要そうに思えることに関して、意外にもとてもカジュアルな手続きで済ませられるアメリカという大国の面白さ。申請から数時間でI-94も無事訂正され、それをもって大学に到着証明(「今回の客員研究員としての活動を開始します」という届け出)を、これまたオンラインのシステムで提出。その手続きと並行して、この日は大学の技術部門スタッフからEメールアドレスや図書館利用に関わるオンラインIDも発行された。このIDのおかげで、データベースへのアクセス、論文やebookのダウンロードが自在にできるようになった。論文や論集の検索、それらのダウンロード、それらをさらにフォルダ分けして整理、という作業で日が暮れる。

 February 9

 部屋の寒さについて、もしかしてヒーティング・システムの使用方法が間違っているのでは?と思い、web上に転がっているマニュアルを読んでは設定を変えてみたり、コントロールパネルの電池を変えてみたりなどしたがあまり効果はなく、大家のBさんにも何度か確認してもらったところやはり何かがおかしいとのことで、結局は修理業者を呼んでもらった。古いアパートの暖房システムの場合、簡略化して言うと、地下の大きなボイラーで作ったお湯を全棟に巡らされたパイプに走らせて建物および各部屋を暖めるわけだが、どうにもわれわれの部屋はしばらく空室だったせいか、うまく暖気(=お湯?)が来ていないようだ。修理業者のおじさんとBさんで、そっちはどうだ、こうするとどうだ、と賑やかに試行錯誤してくれた結果、ひとまずヒーティングが作動するようになった。
 とはいえ、この日まで部屋の極寒は続いていたわけで、それに耐えられるよう、我が家はAmazonですでに小型電気ストーブを購入していた。こちらのAmazonを利用するにあたって、とにかく一刻も早く暖房器具を!という祈るような気持ちから、配達が早くなるようにプライム会員にまでなった。とはいえ、こちらが大雪だったこともあって配達には時間がかかり、結局注文したストーブが届いたのは2日前ほどだった。この小型電気ストーブが、1500wも消費するだけあってものすごくパワフル、小ぶりなボディのくせにとってもホット、危険なまでにカラカラに乾燥した熱気を排出してくれる。すっかり気に入っていたが、ヒーティングが正常になったのだから火事のおそれがあるストーブなどの器具は絶対にダメと大家のB氏からは使用禁止を命じられる。生活の仕方にまで介入されるのには納得がいかないが、まあヒーティングを直してくれたし、と一旦受け入れる。
 なお、この電気ストーブ購入が、思わぬささやかな幸運をもたらした。その配達を早めたいがために、アメリカのAmazonでプライム会員になったのだが、それによってアメリカのAmazonプライムビデオも観ることができるようになる。観ることのできる作品ラインアップがもちろん日本版とはまったく違い、そのなかに、特に2021年になってからまとめて観てみたいと強く願っていたアメリカ人女性映画監督Kelly Reichardtの作品がいくつもあったのだ。去年の夏に渋谷イメージフォーラムであった特集上映にわたしは参じることができなかったのだが、その上映を観た学生や、また映画評論家としても活動する友人のTくんから、Reichardtを観るように強く薦められていた。これは何たる好機と興奮し、デビュー作であるドタバタ犯罪喜劇 River of Grass (1994)、女性と犬のロードナラティブ Wendy and Lucy (2008)、女性の視点から書き直される西部開拓劇 Meek’s Cutoff (2010)、とりあえずこの3作をAmazonプライムの恩恵によって満喫することにした。この日は夕方から Meek’s Cutoff を観る。空間にも時間にも、独特の間/リズムをおくことができる、唯一無二の監督であると確信する。平行移動=横方向のショットがとても印象に残る監督だが、Meek’s Cutoff では、どちらかというと縦方向に視線を誘導する「馬車のゆるやかな転落」のシーンがスリリングだった。
 

 

 February 6

 こちらに住むアメリカ人の友人、JさんとFさん夫妻と待ち合わせて、ボストン散策。普段はニューヨーク・シティに住んでいる友人なのだが、Jさんのご高齢のお母さんがボストン郊外のニュートンに一人暮らしされており、このパンデミック禍で仕事がリモート化されたことを機に、数週間ごとに自宅とお母さんのもとを往復する二拠点生活をはじめたとのことだった。
 Public Garden(ボストン公共庭園。ボストン・コモンの隣にある)で待ち合わせをし、海のほうに向かってFaneuil Hall 周辺のマーケットへ、さらに今度は踵を返して街中のおしゃれショッピングストリートであるNewbury Streetを、とめどなくおしゃべりしながらお散歩。東京では滅多に入らない店であるが、寒さに気圧されている身体を武装するための信用できるフリースジャケットが欲しく、ユニクロでお買い物もした。とても嬉しかったのは、晴天に恵まれたおかげもあって、街中にたくさんの人出があったこと。先日はパンデミックのせいで街全体がどんよりと閉塞しているのかも、と思ってしまったが、天気が良かったり暖かったりすれば、ボストンの人々も街もきちんと活気づくのであった。つまり、雪が降る寒い日には、そもそも人はあまり外出しないのだ。思い起こせばこれは自分の故郷である北海道でもそうであった。翌日が国家的祝祭の日、と言っても過言ではないスーパーボウルの日であり、また永らくボストンの英雄として君臨したTom Bradyが今年はTampa Bay Buccaneersの選手として出場するとあって、パブリック・ガーデンの凍りついた池には、ボストンっ子たちによる応援アート(↓)が輝き、スケートに興じる人たちがその周りを滑っている。
 

 
 また、あくまでも定員制限つきではあるが、少しづつボストン(マサチューセッツ州)では飲食店もインドアダイニング営業を再開している。次の月曜日にはさらに飲食店の定員制限が緩和される、とのニュースもあった。市民のワクチン摂取が、まずは高齢者層からではあるが、どんどんと進んでいるがゆえである。Newbury Streetに行列のできているレストランがあり、いったいどんなお店か?と遠巻きに見てみたら、何とラーメンの山頭火だった。ハーバード大のそばにもさらに1店舗あるらしく、ボストン・エリアでは信頼と人気を勝ち取っているらしい。ラーメンには不必要なまでにうるさくなる天邪鬼な口であるが、いつかわたしも謙虚な気持ちでアメリカの山頭火を一杯いただいてみたい。
 夜にはボストン・コモンがライトアップされる。灰色がかった雪に青い光線が反射する。その人工的なケバケバしさが、今のわたしにとっては、人懐っこさの感覚をかもし出す。

 February 4

 アパートの部屋が1階のためテラス(中庭)が使える。BBQ用のグリルも置いてある。そこに雪が降り積もっていくさまを眺めているのは、なかなかに風情があってよいし、北海道出身ではあるが雪がしんしんと積もりゆく冬に生活するのは実は上京して以来はじめてなのでおよそ25年ぶり!という個人史的事情も相まって、ボストンの冬暮らしに胸を躍らせていた。…のだが、あまりにも寒い。暖房は作動しているようだが、部屋全体を暖めるには不十分にしか思えない熱がうっすら放たれているだけなので、エクストラの電気ストーブのようなものが今すぐにでも欲しい。寝具についても、薄い掛け布団があるのみなので、毛布あるいは電気毛布を今夜の生存のためにも至急用意したい、と妻と同意する。
 Best Buy(日本でいうビックカメラのようなお店)がLechmereのショッピングモールの横にあるので、ボストン散策がてら、そこまで歩いて行ってみることにした。大学院生の頃、ボストンに資料研究のため短期滞在したことがあったが、Lechmereはその際によく遊びに行っていた思い出の場所というか、思い出のショッピングモールである。われわれのアパートからは、北のケンブリッジと南のボストンを分けるように流れるチャールズ川を越えてLechmereまで往くのであるが、天候も曇りときどき雪と良くないせいか、道中にはまったく人影がなく、挨拶を交わすのは川辺でくつろいでいる白鳥、水鳥たちのみであった。
 辿りついたBest Buyでは、入口でいちいち店員に用件を尋ねられ、ずっと監視され、必要最低限のショッピング行動しか許可されていないような雰囲気で、なんとも居心地が悪い。しかも、暖房器具の在庫が店頭には全くない(おそらく、2月に入ってからの大寒波のために、売り切れてしまっていたようなのだ)。暖房器具についてはいずれにせよネットでの注文からのピックアップ(=店頭受け取り)、という手順を踏まねばならないようだ。ならば、とこの日は諦め、家電や寝具などはネットショッピングで調達することにする。
 帰路はチャールズ川にかかるLong Fellow Bridgeを渡って戻る。チャールズ川は一面凍りついている。真冬のボストンは初めての体験なので、この圧倒的な光景だけで感動する。しかし、同時に、あまりにも街中に人気がないことに、やや戦慄もする。こんなに街全体が戦々恐々としている時期にわざわざ来てしまったのは無遠慮すぎたのかもしれない…パンデミック禍においては東京の緊張感のなさのほうが異様であってわたしは楽天的すぎたのかもしれない…と殊勝に省みたりもする。曇り空と寒さが世界の憂鬱をこの上なく表現してくれているみたいでもある。
 

 February 3

 朝9:00に大家のBさんと待ち合わせし、賃借することになっている Beacon Hill のアパートに。Beacon Hillはいわばボストンのど真ん中にあるややハイソな住宅街、しかしBoston Commonという大きな公園やデパートが立ち並ぶダウンタウンもすぐ近隣にある、という立地で、東京でいえば新宿からちょっと外れて四谷や市ヶ谷に住む、というような感じかもしれない。大家のBさんは奥様が日本人、若い頃には東京や横浜での英語教師経験もあり、といった人で、おかげさまで職業柄そのような経歴の人たちとは付き合いが多いので、わたしにとっては親しみやすい。家具つき、電化製品つきのfurnishedな部屋であるので、室内器具の説明、キッチンやゴミ出しの説明、近隣のスーパーマーケットの紹介などを受けながら、あれやこれやの面白脱線トークが続き、気がつくとお昼すぎに。歴史ある古い煉瓦造りの建物の1階リビング+半地下ベッドルームの部屋、(この後なかなかに大変なことにもなるのだが)第一印象としては思っていたよりも広くて悪くない!という感じだった。
 この日の午後、こちらでの所属大学であるタフツ大学の International Center によるオリエンテーションがあるのだがもし参加可能だったらどうぞ、と急遽担当者の方からメールがある。オリエンテーションへの出席といっても、寂しいことに会場はZOOM上である。アパートに入居できWi-Fi環境のセッティングも完了できたので、15:00からオリエンテーションに出て、小一時間ほど事務手続きのこと、VISAに関する注意事項、などを聞く。
 マサチューセッツ州の場合、入州72時間以内に受けたPCR検査結果が陰性であってその証明ができるのであれば、自己隔離は特に義務づけられていない。なので、この日から早速近所のスーパーWhole Foodsと、ドラッグストアCVSにお買い物に。まずはお部屋掃除グッズ、特にバスルーム周りのお掃除グッズと、生活必要品をたくさん買う。なぜかはよくわからないのだが、CVSのセルフチェックレジも、わたしにとってはアメリカを象徴するものとして感じられる。生まれて初めてアメリカを訪れた時に立ち寄ったCVSで、生まれて初めてセルフレジを目撃した衝撃が、無意識において象徴へと変形されているのかもしれない。

 February 2

 2月1日、のみならず、振替となった2月2日まで、ボストンの大雪警報のために東京からの直行便は欠航との連絡があった。それが1月31日のお昼すぎ。途方に暮れて、渋谷宮益坂で日乃屋カレーをやけ食い。しかし、同日の夕方、航空会社JALから直行ではなくて乗り継ぎ便ならば2月2日中の到着も何とかなるかもしれない、とまたまた連絡がある。PCR検査後72時間以内のアメリカ入国がどうしても必要、という例外的な状況であり、出発を遅らせてなおかつもう一度高額を支払ってPCR検査を受けるというナンセンスの拷問を避けたいがゆえ、乗り継ぎ便でもよいので手配を至急に、と航空会社に依頼。サンフランシスコ乗り継ぎでのボストン行きフライトを押さえる。直行便であるから若干高めの料金を払っているわけだし、日本からの直行便は大雪警報で飛ばないけどサンフランシスコからは飛べるのかい?世界はそれをJALと呼ぶのかい?などなど、航空素人には合点がいかないこともたくさんあるのだが(正直なところ、不信感もあるが)、まずはアメリカへの入国が何よりも先決と覚悟する。
 ということで、夕方に成田空港。その殺風景たるや、まるでディストピア。旅客はほとんど皆無(とはいえ、目視で数えられる程度に、数組はいる)、航空会社の皆さんにとってのだだっ広い研修場のごとき様相。和のおもてなしをアピールする外国人旅客用の広告のすべてが、もの悲しい。やり場のないおもてなし。搭乗手続きは問題なく完了。
 とても興味深かった光景として、ベトナムに帰国されるのか、大集団の御一行がホーチミン行のターミナルの前で待機していたのだが、いざ搭乗という際には、従業員も乗客も皆一様にレインコートのような黄色い防護服で全身をくまなく覆っていた。一昔前の東京に、色は白色だったがこのような防護服に身を包んだ信者たちから成るカルト教団があったことを唐突に思い起こさせた。ベトナム政府の衛生方針なのか、空港の職員の方にその場で詳細を尋ねてみたが、よくわからないとのことだった。
 サンフランシスコ行の飛行機に乗りこむ。わたしと妻、その他には数組しか客がいないので、もはやプライベートジェットのようである。CAの女性は文字通りわれわれ夫婦の専属、すぐに缶ビールを空にしてしまうわたしをしきりに気にかけてくれたり、すぐにシートベルトを緩ませるわたしを大変熱心に注意してくれたり、逆に気を遣ってしまってくたびれた。機内では映画を鑑賞したり小説を読んだりがなぜかうまくできないので、専らiPadに入れておいた漫画を一気呵成に全巻読むことを、国際便での習慣にしている。何度も読了しているもの、むしろ読み飽きていてセリフを誦じれるようなもの、がちょうどよい睡眠導入になる。この日は『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』1巻からはじめて、5巻ほどですでに眠くなった(『スティール・ボール・ラン』は、3-4巻あたりのブンブーン一家との戦いのくだりが絶妙にかったるくて、いい塩梅で眠たくなる)。
 9時間30分ほどでサンフランシスコに到着、いよい最も難所であると想定していた入国ゲートへ。普段のように行列ができているわけではないが、ここにも数組の人々はいる。おそらく東南アジアのほうからの留学生や、アフリカのほうから家族連れなど。パンデミック禍のアメリカへの入国、不用意な一言を発してしまったり、体温の微妙な上昇を赤外線で測定されてしまったり、そんなちょっとしたことが命取りとなって入国拒否もありえるかも…とそれなりに緊張していたつもりだった。しかし、ただVISAと関係書類を見せて、滞在先大学のことを簡単に話したというかその名を「言った」だけで、メジャーリーガーを目指してカリブ海地域からやってきた刺青入りの好内野手といった風采の係官が、あっけなく入国させてくれた。すぐにでもカバンから取り出せるように用意していたPCR検査結果なんて提示を求められさえせず、せっかく宿題をやってきたのに先生が回収してくれなかったと恨言を言う子どものような気分になった。感染症とは水際対策である、とパンデミック禍に神経を最大限に尖らせた言説をあまりにもたくさん耳にしすぎていたせいで、こちらも過剰に身構えすぎていたのかもしれない。水際まで来てしまえばあとは岸に上がるだけなのであった。
 そこからは国内線への乗り換え。この日は、本来のフライト予定は17:00頃にボストン着であり、賃借するアパートの大家さんがボストン・ローガン国際空港に迎えに来てくれるはずであった。しかし、直前でのフライト変更、それによって到着は21:30という遅くになってしまった。その旨、先にメールで伝えてから成田空港を発ったが、サンフランシスコで確認しても特に返信はない。いまやアメリカ国内に入ったので、今度はアメリカ用の携帯電話で、大家さんにテキストメッセージを打つと、しばらくしてそんな夜遅くにピックアップに行くことはできない…というような返信。このようなリアクションもまた想定していたので、ボストン空港周辺のホテルに今夜は泊まるから、明日以降にアパートに引き渡しをとお願いしてから、ボストン行の便に。この国内便はほぼ満席。マスク&フェイスガードでしっかり顔面を防護しながら目にうつるすべてのものを消毒しようとする神経質な夫婦から、バスケットに入った子猫とともにちょっとした出張に出かけますといった気軽さを漂わせたビジネスマンまで、たくさんのお客さんがいる。
 予定通り21:30すぎにボストンに到着。あたり一面に雪は積もっていたが、もうとっくに降りやんではいたようだ。深い夜の闇と肌を刺す冷気のなか、タクシー乗り場までスーツケースを転がす舗装路の汚れ方を目にすると、あぁようやくアメリカに来たんだなと感慨を抱く。アメリカの街の汚れ方は、16mmフィルムカメラで撮影したような独特の色彩をもって迫ってくる。わたしの目には、なんだかそんな風にカラフルに見える。いまいちコミュニケーションがうまくいかない運転手のタクシーに雪道を揺られて、空港近くのホテルへ。それなりに張り詰めた長い1日を解除するため、バスタブで熱いお湯に身を沈める。

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