January 2021 pt.2 鯖日記 (Sabba-tical diary)

 January 31

 思わぬ予定変更があったものの、2月2日の便を押さえることができたので、いよいよ池袋のクリニックにPCR検査へ。雑居ビルの一室のようなクリニックにて、意外にも大勢の検査待ちの人々。感染症専門医の方が、「民間の野良PCRクリニックの乱立」と否定的に嘆いていらっしゃるのをインターネット上で目にしたが、その蔑称もやむをえないのかもしれない、ものものしさと軽々しさが同居しているような雰囲気。薄暗い更衣室のような部屋に呼び出され、唾液を採取する。口をもぐもぐと動かして、何とか試験管のなかに十分な量となる唾液を出さねばならない。でもうまく唾液が出てこないし、出てきたとしてもキレイに試験管に注ぎ込めず、横にたれてしまう。たれてしまった唾液を拭き取るティッシュか何かを…と、検査係の方にお願いしようとすると、こちらに近寄らないでください、そちらの窓の方を向いていてください、とまるで病原体のように警戒されながら慎重に扱われる。あまりにも自分が滑稽で惨めに思え笑えてきたら、結果としていい感じの唾液が出てきた。
 クリニックを後にして、さあ残るは翌日の朝に陰性証明書を受け取って、さらに翌々日には機上の人になるのみ。ようやくここまで済んだか、とやや安堵。出国前の最後の機会に大学の研究室に立ち寄り、重要書類を整理しておくことにして日曜日の渋谷へ。宮益坂方面の改札を出たその瞬間に、なんと再びJALからボストン便欠航の知らせが!またもや理由は大雪の予報ゆえ、とのことだが、すでにPCR検査も受けてしまっているし、呆然自失の呆然と自失がそれぞれ二乗されたような気分。
 茫漠とした気持ちで大学から渋谷駅に向かう途中、すっかり新しくジェントリフィケーションされた宮下パークを明治通り沿いから見上げる。明るいはずの未来を体現しているはずの新パーク、があらためて見ると、すでにして「到来しなかった2020年=未来」を象徴する廃墟、もしくは過去の遺物のようにも映る。それはそれでどことなく美しい。
 果たしてわたしの2020年在外研究は、到来してくれるのであろうか…?

 January 30

 アメリカ合衆国に入国するには「アメリカ行きの便に搭乗する時刻より72時間以内」に受けたPCR検査の陰性証明が必要で、おまけにわたしが在外研究で滞在するマサチューセッツ州では「マサチューセッツ州に入る時点より72時間以内」に受けたPCR検査結果が必要。2月1日の夕方にボストン(マサチューセッツ州)のローガン空港に到着=アメリカに入国予定なので、逆算すると、この日に民間クリニックでPCR検査を受けておいて結果証明を翌日に受け取る、というスケジューリングとなる。
 池袋のとあるクリニックにPCR検査を予約しておいた。証明書発行料金も含めると、1名につき36,000円もかかる。さあいよいよ出かけて、証明書のために高額のお金を落としてくるか、というまさにその時、JALからボストン便欠航の知らせ。2月1日は大雪警報が出ているため、とのこと。呆然。
 気を持ち直してJALに電話をして、翌日2月2日のボストン便に振り替えてもらう。面倒なのは、上述の72時間ルールのために、航空便の変更に合わせてPCR検査の予約もスライドさせねばならないこと。こちらも慌ててクリニックに電話して、予約を翌日に変更。
 いきなり空っぽとなってしまった1日、温情にせよ試練にせよ神様のメッセージか何かだろうと思うことにして、夜は急遽BiSHの配信ライブ「マツリー BiSH LIVE」を観ることにする。大学のオンライン講義でもふと口にしてしまったが、BiSHの命を賭して燃やし尽くした上でさらにその灰塵を即座にリサイクル燃料にしてまた燃やすみたいな、力と強度そのものの歌声とパフォーマンスに励まされることがよくあり、この1月後半は、境遇と心の落ち着かなさのせいか、あらためて悔しいくらいにBiSHに取り憑かれてしまった。特に去年の夏に出た3.5枚目のアルバム『LETTERS』がとても沁みた。チッチ派か?アイナ派か?問題にも自分なりの答えが出た(意味不明であったらすいません…)。

 January 27

 毎朝9:30からの歯科通い3連戦。渡米前にすべてのクリーニングと治療を終わらせるための強行軍。これはまるで出勤。衛生士の方からも皆勤をお褒めいただく。9:30からの診察だと10:30頃には終わるため、そこからお昼すぎまで散歩をするのが日課となる。今日はこちらの焼肉屋のお弁当を、今日はあそこの麻婆茄子丼を、など思いつきで目的を設定して歩く。日常の散歩で15,000-25,000歩の歩数を達成するのはなかなか大変であるが、今まで大学に通勤して授業を2-3コマしていた日はいつもそれくらいの歩数を動いていた。青山キャンパス11号館の階段を7階まで駆け上がった後の疲労なんかが、とても懐かしい。

 January 23

 前日の23日は、2020年度のゼミ生たちとのオンライン懇親会。そしてこの日の夜は、ゼミのOBたちとオンライン新年会。オンライン飲み会は間の取り方がよくわからず、どうも気疲れしてすぐ散会したくもなるのだが、この夜は意外に盛り上がってしまい5時間強の深更に及ぶまでの会。卒業生のみなさんの近況を聞きながら、それぞれの場所で頑張るということの大事さをこちらが教えられるような気分にもなる。
 2020年度のゼミ、卒論執筆者たちはみんな無事にそれぞれの観点と努力をもって、無事に卒論提出ができたようで嬉しい。それにしても学生たちにまったく会わなかったし、これからも会う機会がないのかと思うと、安っぽいディストピア小説の世界を生きていているみたいで、そもそもわたしが大学で学生を指導しているというのはわたしが勝手に見ている/(誰かに)見させられている胡蝶の夢なのかもしれないという妄想でさえ、それなりに実感の重みを伴ってくる。ほんとうに奇妙な生活をしている。

 January 21

 山本精一『selfy』のCDをようやく入手。2020年11月発表の作品だが、買いそびれていた。コロナ禍によってもたらされてしまった白昼夢のように間延びする時間に、自分はどこにいるのか、どこに行って何を見ているのか、答えなどない問いを問いかける大人の歌、そして素晴らしいギター/アンビエントミュージック。仕事をしながら終日聴き続ける。とある曲の「どんな心にも後ろ前があって」というフレーズに、意表を突かれてドキっとする。
 夜は散髪に出かけ、帰路に鶏もも肉を買ってくる。チキンマサラカレーを仕込む。
 

 

 January 18

 禁煙をきっかけにグミを食べるという習慣ができた。味わいよりも噛みごたえを追求し、どのメーカーのグミが最高か?おかしのまちおかに通ってリサーチまでして、モグモグと色々噛み漁っていたら、歯の詰め物が脱落してしまった。子どもの時以来、虫歯になっていないがゆえに歯科にも行っていない。前回歯科に行ったのは、これまた歯の詰め物がお餅か何かによって取れてしまった22歳の時だった(あまりないお金を歯医者につぎ込むことがうらめしかったので、よく覚えている)。ということで、近所の歯科に慌てて行って診てもらったら、今回詰め物が1つ取れたのは確かだが、その他にも詰め物が取れてしまっている歯が2本ほどあるし、そもそもまったく検診してもらっていないゆえ歯垢や歯石が溜まりすぎていて徹底したクリーニングが必要である、このまま歯石をためていけばゆくゆくは全ての歯が抜け落ちアゴはガクガクになるだろう、つまりあなたはかなり末期的な症状である、と先生に脅されるような怒られるような診断をくだされる。方策としては、まず歯石除去とクリーニングを終えてから、詰め物をがなくなってしまっている歯の処置をしたほうが良いとのこと。
 ご存知の方も多いだろうが、アメリカでは歯科診療費用が法外に高い。なので、このタイミングで、できる処置はすべてしてしまおうと意を決し、歯石除去とクリーニングに通い始める。古くなったパーツをガシガシと歯肉ごと削り落とすような歯石除去、心地よい痛みと痒みがあり、口腔から出血するのも、また殴られすぎたボクサーのような気分になってそれなりに爽快である。
 
 夕方からは、高田馬場の早稲田松竹まで足を運び、マレーシアの女性映画監督ヤスミン・アフマドの『細い目』(Sepet,2005)を観る。多文化・多民族の国マレーシアで、民族の垣根を越えて恋をする中国人男子とマレー人女子。軽やかで、ファニーで、心がこそばゆくなる青春恋愛映画なのだが、マレーシア外の観客にとってはその複雑な歴史と社会の成り立ちに触れるレッスンとしても機能する。デート中に写真館でおどけた記念写真を撮ってもらう、というシーン。今を生きる10代の恋人たちが、未来から「過去」として振り返るために「今」を写真という物質に定着させて、いわば時間を重層化させる。「今」はすぐに過ぎ去ってしまうものであると同時に、これからも振り返ることができる「今」にもなる。その魔法のような作業を人間たちが行っている、ということの刹那さ。映画における記念写真撮影シーンとしては、Wim Wenders監督の『都会のアリス』(1973)におけるそれと並ぶくらいに出色だと感じた。
 

 

 January 15

 マイナンバーカードの受け取りのために区役所へ。生活をしていく上で不都合がないため、また積極的に国家に番号管理されたいとは思わない性分もあって、今まで不所有だった。しかし、国際送金だとかオンラインでの確定申告だとか、これからはさまざまな局面でこの番号がないと面倒なので、最早積極的に不所有でいる理由もなくなってしまった。
 せっかく街に出てきたので、帰りには携帯電話ショップに寄って、iPhone 12に機種変更。
 自宅でJon Jost監督によるインディペンデント映画、All the Vermeers in New York(1990) を初鑑賞。成功を夢見るというほどの貪欲もなく New Yorkで無為に過ごしているフランス人女優と、どこか対人が下手くそな株式ブローカーの男性の実らないロマンス。物語のテンポがとても良く、洒落たオフビート感が持続する。マンハッタンを臨む後ろ姿ショットが凛々しいヒロインは、エリック・ロメール監督の『友だちの恋人』(1987)の主演でも有名なエマニュエル・ショーレが演じている。

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