中澤 和夫

  • Professor(教授)言語学、統語論

 

量は質を凌駕する

『ウェブスター大辞典第3版』や『コンサイスオックスフォード辞典』などで qualitative(「定性(質)的な」)とquantitative (「定量的な」)を引くと、おおよそ、次のような記述に出くわす。即ち、「定性的」は「定量的」に対す、または、「定性的」は「定量的」の反対、といった具合。確かに質と量は互いに相容れぬ概念である。しかし、定性的であることと定量的であることは実は同じベクトルの上に載っているのではないか、と私には思われてならない。

 例えば、人間の言語と動物の言語はどのくらい違うのか、また、どのくらい似ているのかという問題がある。大問題である。途方もない大問題であるが、極端に、本当に極端に切り詰めた喩え話にすればこうなる。つまり、人間言語には10箇の規則があり、猿の言語は5箇、青虫の「言語」は1箇の規則を持っているとする(青虫の「言語」は身体を押されたら臭気を発するという刺戟と反応である)。そこで、人間と猿の言語の違いであるが、それは要するに5番目の規 則と6番目の規則の間に横たわる溝である。動物学者は、得てして、それを定量的に見る。第5規則までと第6規則までの違いは、規則が1つ多いか少ないかである。言語学者は定性的に見る。第5規則と第6規則の間には乗り越えられない質的な差がある、とする。さらに、それは遺伝子によって決定されていると考える(ついでながら、そうすると規則の形ではないので、「遺伝子」という暗箱がひとつ増えたことになる)。

 どちらの言語観が正しいのだろうか。私には、両者とも真実を衝いていると思われる。つまり、第5規則と第6規則の間には、実際には厖大な数の規則群があるのであり、その多量の数を乗り越えてこそ、質的に今までとは見紛う程の景色が開けて来るのである。
 質を上げる道は量にあるのである。

 そして、その精神は「急がば廻れ」「習うより慣れろ」「学問に王道なし」などの諺と、底の方で通じていると思われるのである。