February 25
運動不足解消というそんな言い訳を用意して、ケンブリッジまで長距離のお散歩。チャールズ川を越えて、ケンダル(マサチューセッツ工科大学=MIT周辺)から、ハーバード(Harvard大周辺)、さらに北上しポーターおよびデイビス・スクエアまで、かなりの距離を寄り道しながら歩いた。デイビス・スクエアは、今回わたしを受け入れてくれたタフツ大学英文学科のあるメドフォード・キャンパスの最寄り地下鉄駅であり、さらに大学院生の頃に滞在していたこともある思い出の場所。風景やお店があまり変わっていなくて、とても懐かしかった。タフツ大のキャンパスには、まだ入構のための手続きも完全に終わっていないし、ということはまた近いうちに来ることになるだろうとも思い、あえて訪問しなかった。
MITにも近いセントラル駅周辺にはH-Martという韓国系スーパーがある。そのH-Martと同じフロアには、なんとあの(!)ゴーゴーカレーもある。H-Martには早くも大変にお世話になっていて(お刺身を手頃な値段で買うのにH-Martまで音楽を聴きながら歩いてみたりする。とはいってもこっちのマグロの造りは、とろ身を捨ててしまうために淡白すぎていけない)、まだゴーゴーカレーにはGoしていない。きっと心の底から高田馬場とか池袋が恋しくて仕方なくなるいつかがあるとしたら、その時に本能的に食べることになるだろう。
ハーバード大のキャンパスは久々に散策することができた。キャンパス内に位置する、世界的に有名なWidenerやHoughtonなどの図書館はすべて閉館してしまっている。知り合いの先生の話によると、現在ハーバードのキャンパスにある寮に滞在するのを許されているのはsenior(4年生)のみらしく、おそらくそんなseniorたちが、オンライン授業の合間なのか、みんなで嬉しそうにバレーボールなんかをしている。何故seniorだけなのか?卒業後のための「ネットワーキング」(人脈作り)もまたHarvardという世界一の環境が提供する特殊な「教育」であり「機会」の一環であるため、ということらしい。大学4年生は学校なんて行かないっしょ?という意見が多くなってしまう日本社会とは正反対で、最後の1年間こそ集中して学業と学友(あるいは悪友)に向かうという文化、これもまた面白い。
February 24
デリケートな話。なので、暗号のように書くが、はじめて試してみたex・laxのチョコレートの効能がありがたい。興味のある人、また将来留学を考えている人などは、人生のどこかで役立つかもしれんので、ex・laxをググっておいてください。
February 23
チャイナタウンのスーパー(超級市場、と書く)に買い物に行ったついでに、パン屋さん、そして昼食もせっかくだから食べてみよう、ということで渡米後初のインドア・ダイニング。前に見かけたときから、ランチメニューをやっていて一人$12くらいだし、店内も広々としていて風通しも良さそうで入りやすいかも、と思っていた、火鍋や韓国料理を出すお店にて、野菜ビビンパ(Vegitarian bibimbap)。妻はうなぎビビンパ。
これがもうワイルドピッチで2塁からもランナーがホームインするくらいの、そんなワイルドピッチは2003年前後に日本ハムの抑えの切り札だった井場くらいしか投げられないだろうというような、圧倒的な大外れ。具はそれなりに美味しいし、店員さん(中国系でも韓国系でもなく東南アジア系)がドカン!とコチュジャンのボトルを丸ごと置いてくれたのでそれをかけるだけで味のほうは問題ないのだが、肝心の土台であるご飯が、なぜか生煮えのドロドロ。石焼きの器が発する熱で、少しづつ炊けていくという粋な演出なのだろうと思ってしばらく待ったが、お米の表面が焦げるくらいの効果しかなく、結果として野菜おかゆfeat.大量のコチュジャン、というていたらく。チップを意地悪く少なめにして、店を後にした。
February 22
アメリカ合衆国では、2月はBlack History Month(黒人歴史月間)とされている。奴隷制廃止を推進した大統領エイブラハム・リンカーン、および奴隷から身を起こして著述家・知識人として活躍したフレデリック・ダグラス、19世紀の偉人がどちらとも2月第2週生まれだったことから、1920年代にその週が黒人歴史週間と呼ばれ始めたことに由来している。21世紀の現在、賛否の声がそれぞれありながらも、Black History Monthはいわば公式な文化習慣ともなっている。
したがって、アメリカのケーブルTVでは、さまざまな「黒人監督」の映画やドキュメンタリーが無料で観られるようにもなっている。いくつかの作品を自身の研究も兼ねて観てみたが、どうにも映画としての快楽が足りない…つまり出来がよろしくない。歴史を正しく語る、またそのように正しく語る資格のある人がその語りべの位置に正しくいなくてはならない(作家、映画監督、歌手など)、という公正性の議論はもちろん理解しているのだが、やはりつまらない映画はつまらない。Harriet (2019)は逃亡奴隷たちおよび黒人女性活動家の感動的な史劇であるのだが、逃亡という「アクション」が活劇として描かれないのは(あるいは「アクション」として撮ることをできていないのは)、ひたすらにもったいないと一人の映画ファンとしては感じてしまう。歴史、あるいは古典的作品を、アダプテーション(映画作品に翻案する)する難しさは、政治的公正さとファクトチェックとの兼ね合いも強く求められる現在、異様なまでに高まってしまっているのかもしれず、演劇とはカタルシスであるという基本もまた疑われているのかもしれない。あるいは、ただカタルシスをわれわれが忘れてしまっているのかもしれない。
そんなモヤモヤでぼんやりとしていた最中、自身の専門であるアメリカ文学・アメリカ史に関わる映画として、2020年度にリリースされたものでは文句なく最高であると断言できる作品Martin Eden(2019)を観ることができた。原作は、わたしの授業でも折に触れて取り上げる19世紀末-20世紀初頭に活躍したアメリカ人作家Jack London。アフリカ系ではなく、人種としては「白人」の「男性」にカテゴライズされる極めて王道の作家であるが、密漁者、船員、金鉱堀り、ジャーナリスト、などなど波乱万丈の労働者生活を送り、社会主義思想への傾倒でも知られる非常に複雑な人物だ。今回の映画版Martin Edenは、イタリア人監督Pietro Marcelloによって、20世紀はじめのアメリカ人労働者の苦境と葛藤が、現代の新自由主義経済体制下の貧しいイタリア人労働者のそれに翻案され、劇となっている。観ているこちらに鳥肌が立つほどの緊張感をもって、画面には怒りや諦めやちょっとした希望がみなぎっていて、役者たちもナポリの海も、切実に生きることと働くことの「逃れられなさ」、そのリズムを伝えてくる。ものすごい熱量の映画である。と同時にものすごいやるせなさも放出される。素晴らしいアダプテーション作品である。
February 20
ボストンのパブリック・マーケットでカルダモン、コリアンダーを仕入れたので、夕飯にキーマカレーを作る。いい感じの辛さの唐辛子をまだ入手できてない(こちらのスーパー、Star Marketで買ったその名も「Asian Chili Pepper」は、じゃがりこみたいに丸かじりしても全然大丈夫なくらいに辛くない)ので、辛みというカレーの本質追求に関してはまだまだ課題が残るが、それ以外はまあまあ納得の出来。状態のいいワゴン車を仕入れて、今すぐフードトラックをやりたくなるくらい。
February 17
アパートのヒーティングに、結局不調が再発。相変わらず寒い。夜中には外気温がマイナス10度近くまでに冷えることもある。身体の順応力も捨てたものではなく、だんだんと気温の低さには慣れてきてはいるが…と心のほうが冷え込んでいた折、ついに大家のBさんが大掛かりな改修を決意してくれたようで(何やらモーターを取り替える?というようなことを言っていて、即座にリペアマンが来て何かしていた)、おかげさまですっかり部屋の中は快適な室温となった。
仕事中、といってもMacに向かっていろいろと読んだり書いたりの肩が強張る姿勢でいつづける静態の仕事なわけで、どうにも何かが足りない、手持ちぶさたのような気持ちになる。指先も心も寂しく、体表がピリピリとうずく感じもする。そこで、アメリカ滞在中のお供となるようにギターでも買おうと思い立ち、中古品の扱いもあるギター・センターがあるフェンウェイ方面まで長距離お散歩。
生まれて初めてアメリカに、そしてついでにボストンに来たときにも立ち寄ったボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークは、いまはCOVID-19ワクチンの摂取会場となっていた。ワクチンを受けにくる高齢者を乗せた車が、球場脇の道路を通り過ぎていく。野球どころではないのかも、という沈んだシリアスな空気もどこかにある。だが、この日の天気はすこぶる良く、またワクチン摂取をぐいぐいと進めているそのアメリカ社会の突破力にも感化され、もうすぐレモネード片手に野球が観られる(球場でビールが飲めない、のが辛いところだ)というような明るい目測も得られる。
ギター・センターでは、中古のYAMAHAアコースティックを100ドルくらいで買おうとしたのだが、店員さんいわく、このギターは買うことはできても来月半ばまで引き渡しができない、とのこと。マサチューセッツ州の法律によって、盗品でないかどうかをしっかり見極める時間を確保するためにも、中古品にはそのようなお渡しまでの期間が設けられているのだ、とのこと、だったら、すぐ持って帰れるものを、と色々と試奏させてもらって、日本では滅多に見ないがアメリカでは名の知れたブランドBreedloveの中古エントリーモデルを200ドルちょっとで買うことにした。わたしの手の平と指には、弦高がどんぴしゃのちょうど良い感触で、高フレットのほうの音がよく響く品のあるギターだった。買ったギターをケースに入れてかついで歩く長い帰路、バークレー音楽大学の前を通る。街のみなさんはわたしが高等な音楽教育を受けているホンモノのギタリストだと思うのかもしれない、と意図的な錯覚をし勝手に歓んでみる。